雨がシトシト降る6月の鎌倉散策・・・、に憧れて北鎌倉へ行ってきました。しかし、究極の晴れ女である私のせいで、天気予報を見事裏切り超が付く晴天。日焼けしてヒリヒリしてます><
さて、北鎌倉といえばこの季節「紫陽花(あじさい)」が有名ですが、本日一番の目的は
円覚寺で坐禅(ざぜん)を組むこと。
円覚寺といえば、鎌倉時代に北条時宗が建立した、禅寺を代表する高名なお寺です。夏目漱石もこちらで坐禅を組んだという由緒在る修行寺で、その坐禅修行は今でも大変厳しいことで知られています。
私はもちろん坐禅初体験。
一歩道場に足を踏み入れたとたん、ひんやりとした厳かな雰囲気が漂い、不思議な緊張感に包まれました。そして簡単な説明を受け、いよいよ50分間の坐禅に挑みます。
和尚さんの合図と共に道場内は静寂に包まれ、聞こえるのは風の音と鳥の鳴声だけ。。。
「無」になることが目的とされる
「禅」の世界、何か考え事をしているとビシッッ!!ベシッッ!!とすかさず叩かれてしまいます。深く呼吸をしなければいけないのに、最初は緊張で呼吸が乱れたり、モゾモゾと動いてしまったり、目の前を歩くアリに気を取られてしまったりと
「無」になるというのは、なかなか難しいもの・・・。しかし、開始から10分も経つと・・・、
「無」「無」、集中のせいか座禅中の記憶はほとんどありません。50分間も坐禅を組んでいたなんて信じられないほど一瞬に感じました。
周りの参加者の方々が次々と叩かれ「渇」を入れられているので、せっかくだから私も・・・と勇気をだして自分から和尚さんに「渇」をお願いしました(和尚さんが自分の前に来たときに手を合わせて頭を下げると叩いてくれます)。右肩、左肩と計4回叩かれます。叩かれたあとは、その場所がジーンと熱くなるような感覚に見舞われますが、不思議と気持ち良くもあり、「背筋が伸びる思い」というのはまさにこの事だなぁなんて爽やかな気持ちで考えていました(←無?)。
最後はお経をみんなで唱え、和尚さんのお話を拝聴し、短い時間でしたが一瞬でも「無」になることによって「得る」感覚もあるのだと新鮮な気持ちで道場を後にしました。
(一番下の写真が円覚寺の坐禅道場“居士林”の入り口です。この奥に道場があります。)
ところで、和尚さんのお話の中に
「一無位真人」という言葉が出てきました。
あとでその意味を調べたところ、
「その人(自分)の真実の姿というものは地位や学歴、職種、また外見によってランク付けすることはできない。老若男女、貧富、賢愚、善悪など一切関係なく、束縛から抜け出した裸の人間をその人(自分)の内に見て取れば、本当の自由が得られ、生き生きとした人生を創造していくことが出来るでしょう」という事だそうです。
禅の教えでは真人を見て取るにはまず坐禅から始まる。
何も見ず、何も考えず、心を無の状態にすることによって、逆に自分が見えてくるといわれています。
私は禅の教えがわりと好きです。
何故かというと他の宗教と違い、
直指人心見性成仏(仏を対象と見ないで己自身が仏になれる、否、仏そのものだ)の言葉からも分かるように、神だけに頼らず自己を成長させよという考えがあるから。
今日は生まれて初めての坐禅体験でしたが、自己を成長させようというその気持ちが大切なんだなと、ちょっとだけ悟りを啓いた気がします(←うそ)。
しかし、久しぶりの鎌倉散策、それだけでは終わらず甘味処で白玉セットやら海辺の有名なイタリアンでビールやらピザやらパスタやらリゾットやら、しまいにはデザート5種盛り合わせやらをペロリと平らげてしまいました。
気づけば煩悩と欲だらけの一日・・・。
悟りなんてそう簡単に啓けません!!(←当たり前)
円覚寺坐禅会のご案内
http://www.engakuji.or.jp/contents/zazen.html